過去の痴漢体験に囚われ、求めるように満員電車に乗る妻 – その3
過去の痴漢体験に囚われ、求めるように満員電車に乗る妻 – その3

過去の痴漢体験に囚われ、求めるように満員電車に乗る妻 – その3

森山春香(仮名)主婦28歳

同じ痴漢といってもいろいろなタイプの人がいます。妄想も回数を重ねれば重ねるほどふくらんでいって、人生そのものにまで影響するほどになりました(就職先を決めるときに、痴漢発生率の高いといわれている路線をあえて選んたのです)。

でも、痴漢されたあとに、ふと我に返ると罪悪感に駆られることがありました。こんなにも淫らで愚かな行為を続けていてはいけないと思ったのです。行き着いた答えは単純なものでした。もう二度と電車には乗らない。

3年ほど勤めて、私はその会社で知り会った人と結婚しました。普通の主婦になることで、私はもうあの異常な趣味をやめられると思ったんです。彼とは勤めはじめてすぐに知り合い、2年目くらいから付き合うようになっていました。

彼と付き合っている期間も私は朝の趣味を続けていたのですが、結婚を意識しはじめたころから、だんだんと願望は薄れていきました。結婚こそが、私にとって、過去と完全に決別するための儀式のような気がしていたのです。

しかし、新婚で幸せたった期間はそう長くは続きませんでした。夫が悪いのではありません。私は普通のセックスでは感じない体になっていたのです。

気づけば、私は夫のいない昼間にオナニーをするようになっていました。初めは立暑的に避けていたのですが、頭のなかに浮かんできてしまうものを追い払うことはできす、痴漢をされる自分を妄想していました。

痴漢の記憶を呼び起こすと、オナニーは激しくなりました。あのときの感情、感触、快感がどんどんよみがえっていきました。ここまできてしまうと、もう後戻りはできません。思い出と妄想で満足できなくなるのは時間の問題でした。本当の快感を味わいたいという気持ちが抑えられなくなり、私は朝の趣味を再開したのです。夫の朝はかなり早く6時台には家を出てしまうので、私は彼を送り出したあとに準備を始め、一番混む時間にぶつかるよう家を出ます。

最寄り駅を通る路線は、夫やご近所の顔見知りに見つかる可能性を考えて避けなければなりません。私はわざわざ隣の市を通って都内に向かう路線まで移動して、そこから電車に乗ることにしました。再開後初日の格好は、胸の開いた薄いピンクのキャミソールに花柄のクリーム地のタイトミニにしました。初夏なので普通に薄着の子はいますので、遠目で見ればそれほど不自然ではありません。

でも、胸元はほとんど乳首が見えそうなくらい開けていますし、スカートは屈まなくてもショーツが見えるくらい短いのです。

家から隣の市の駅に着くまでの間は薄手のカーディガンをはおり、スカートの裾を調節して、なるべく目立たないようにし、隣の市の駅から都心への電車に乗る前に、トイレで準備をしました。電車に乗る瞬間、アソコが期待で濡れはじめているのがわかりました。徐々に混みはじめ、3つめの停車駅でほぼ動けない状態になりました。痴漢が出る場合は、この状態になる瞬間に私の後ろにピタリと体を密着させて準備をします。「当たり」なら、出発してすぐに、お尻の周りを指が探りはじめます。1分くらい経過したころ、お尻の表面に違和感が走りました。「きた!」と心の中で叫びました。私の背中を覆うように、その男性は立っています。体格がいいようで、強い圧迫感を感じました。指もかなり太そうな感じです。

ー その4へ続く ー

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